2013.11.07
ヘミングウェイが「世界で残すべき100」に選んだコーヒーを探しに..
Bicerin(ビチェリン)というコーヒーをご存じの方は少ないと思います。
北イタリア・トリノの名物です。
ホットチョコとエスプレッソコーヒーとクリームをミックスして仕上げます。
それぞれの比率のレシピはお店によって異なり門外不出です。
16世紀のドイツのバイエルン地方で産まれ、トリノで愛好されました。
特に、イタリア王国の初代首相でもあるカブールがbicerinには目がなく
bicerinは寒い冬の間には温めて癒し、また精神的な苦労を慰めてくれる存在でした。
ヘミングウェイは熱烈なファンでbicerinを「世界で残すべき100の物」のひとつに入れてます。
トリノまで来たからにはと...本家のお店を探しました。

こちらです。Caffe ,Confettria と看板があり Al BICERINと小さくあります
店内は狭く7名も入れば行き苦しく感じるほど...しかし
創業1763年と歴史は古くアレクサンドル・デュマ、パブロ・ピカソ、アーネスト・ヘミングウェイ
が足繁く通いビチェリンを愛飲したと記録に残ってます。

こちらがビチェリン。クリームの泡たちが控えめで中層のエスプレッソと下層のチョコ
掻き回すより、それぞれの味を楽しみたいです。適度な甘さで旅の疲れをほぐしてくれます
ガラスの器から伝わる暖かさが冷えた手を温めてくれます。

店内のカウンター。この女性給仕がカウンターでエスプレッソを抽出しキッチンに運び
チョコと生クリームを調合し出してくれます。お客は途絶えることなくかなり忙しそう
このカウンターの後ろのガラス瓶に入ったピンクや白や茶の食べ物なんでしょう????
お店の看板にもなっていたConfette です。結婚式に紙に包んで配ります。
では日本語では何というのでしょう???
Confette = 金平糖です。トリノ、しかも由緒あるカッフェで金平糖の先祖に出会うとは。。
北イタリア・トリノの名物です。
ホットチョコとエスプレッソコーヒーとクリームをミックスして仕上げます。
それぞれの比率のレシピはお店によって異なり門外不出です。
16世紀のドイツのバイエルン地方で産まれ、トリノで愛好されました。
特に、イタリア王国の初代首相でもあるカブールがbicerinには目がなく
bicerinは寒い冬の間には温めて癒し、また精神的な苦労を慰めてくれる存在でした。
ヘミングウェイは熱烈なファンでbicerinを「世界で残すべき100の物」のひとつに入れてます。
トリノまで来たからにはと...本家のお店を探しました。

こちらです。Caffe ,Confettria と看板があり Al BICERINと小さくあります
店内は狭く7名も入れば行き苦しく感じるほど...しかし
創業1763年と歴史は古くアレクサンドル・デュマ、パブロ・ピカソ、アーネスト・ヘミングウェイ
が足繁く通いビチェリンを愛飲したと記録に残ってます。

こちらがビチェリン。クリームの泡たちが控えめで中層のエスプレッソと下層のチョコ
掻き回すより、それぞれの味を楽しみたいです。適度な甘さで旅の疲れをほぐしてくれます
ガラスの器から伝わる暖かさが冷えた手を温めてくれます。

店内のカウンター。この女性給仕がカウンターでエスプレッソを抽出しキッチンに運び
チョコと生クリームを調合し出してくれます。お客は途絶えることなくかなり忙しそう
このカウンターの後ろのガラス瓶に入ったピンクや白や茶の食べ物なんでしょう????
お店の看板にもなっていたConfette です。結婚式に紙に包んで配ります。
では日本語では何というのでしょう???
Confette = 金平糖です。トリノ、しかも由緒あるカッフェで金平糖の先祖に出会うとは。。
2013.11.04
トリノの夜
トリノはサヴォイア王家の王宮群が世界遺産に登録されている都市です。
イタリア第四の人口規模ですが道路が整備されているためかローマと比べ
人口も車も少ない様に感じます。
20時を過ぎると地元のイタリア人はほとんど歩いてません。
観光客がチラホラと写真を撮っているだけ
それでも警官が主要名所にしっかり警備しているので安心でした。

サヴォイア王家の王宮(Palazzo Reale)
左右対称の優美な建築物。16世紀から17世紀に建てられた。

マダマ宮殿(Palazzo Madama)
元々ローマ帝国時代の砦であった場所に、14世紀にアカイヤ家により建築がはじまり、
諸侯の后の宮殿とされた。1584年にアスカニオ・ヴィトッツィがファサードの設計をした。

こちらの宮殿の左後方に聖骸布教会 (Cattedrale di San Giovanni Battista)があります
聖骸布は公開されていませんでしたが、ビデオで詳細な説明を見ることができます。
トリノはローマと違って、ゴミや落書きが少なく
人々はとても親切でした。
ホテルの居心地がとてもよかったので外出する時間が
少なかったのが残念です。
イタリア第四の人口規模ですが道路が整備されているためかローマと比べ
人口も車も少ない様に感じます。
20時を過ぎると地元のイタリア人はほとんど歩いてません。
観光客がチラホラと写真を撮っているだけ
それでも警官が主要名所にしっかり警備しているので安心でした。

サヴォイア王家の王宮(Palazzo Reale)
左右対称の優美な建築物。16世紀から17世紀に建てられた。

マダマ宮殿(Palazzo Madama)
元々ローマ帝国時代の砦であった場所に、14世紀にアカイヤ家により建築がはじまり、
諸侯の后の宮殿とされた。1584年にアスカニオ・ヴィトッツィがファサードの設計をした。

こちらの宮殿の左後方に聖骸布教会 (Cattedrale di San Giovanni Battista)があります
聖骸布は公開されていませんでしたが、ビデオで詳細な説明を見ることができます。
トリノはローマと違って、ゴミや落書きが少なく
人々はとても親切でした。
ホテルの居心地がとてもよかったので外出する時間が
少なかったのが残念です。
2013.10.27
トリノの町を俯瞰してみた。
トリノの町に1泊2日滞在しました。
天気予報では曇り時々雨、肌寒くなる予報でしたが
着いて見ると晴れ間が差し上着が邪魔になるほど
暑かったです。
こんな日は上空から町を眺めるのが一番と
展望台に昇りました。

モッレ・アントネッリアーナ(1889年)
19世紀末に建築家アレサンドロ=アントネッリの設計により、シナゴーグとして建造
高さ約167メートルの塔をもち、トリノ市街を一望にできる展望台がある。
現在、内部は国立映画博物館としてイタリア映画の歴史、資料を紹介している
映画博物館には入らず、展望台に昇りました。

中世と現代が共存し、美しい町並みです。
167mだから東京の高層ビルよりずっと低いのだけど
ビルはほとんど無いから、充分に高く感じます

こんな角度で見ると足が掬われそうになりますね
この展望台はガラス張りではなく窓枠があるだけ
カメラを外に出して撮りました。
突風が吹いたらカメラが飛んでしまうかも....

イタリアとは思えない様な整然とした街並み
数百年の歴史がそのまま残っています。
壊さないで残す、国の資産、観光資源として大切に護る。
イタリアの一番好きな点です。
天気予報では曇り時々雨、肌寒くなる予報でしたが
着いて見ると晴れ間が差し上着が邪魔になるほど
暑かったです。
こんな日は上空から町を眺めるのが一番と
展望台に昇りました。

モッレ・アントネッリアーナ(1889年)
19世紀末に建築家アレサンドロ=アントネッリの設計により、シナゴーグとして建造
高さ約167メートルの塔をもち、トリノ市街を一望にできる展望台がある。
現在、内部は国立映画博物館としてイタリア映画の歴史、資料を紹介している
映画博物館には入らず、展望台に昇りました。

中世と現代が共存し、美しい町並みです。
167mだから東京の高層ビルよりずっと低いのだけど
ビルはほとんど無いから、充分に高く感じます

こんな角度で見ると足が掬われそうになりますね
この展望台はガラス張りではなく窓枠があるだけ
カメラを外に出して撮りました。
突風が吹いたらカメラが飛んでしまうかも....

イタリアとは思えない様な整然とした街並み
数百年の歴史がそのまま残っています。
壊さないで残す、国の資産、観光資源として大切に護る。
イタリアの一番好きな点です。
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